厄年と健康<前編>

まめ知識
厄年と健康 前編

「厄年」この言葉をみなさんはどう受け止められているでしょうか。迷信?ただの言い伝え?祈祷さえ受けていれば良い?
ある年齢になると、「厄年に交通事故を起こした」「病気になった」・・・など聞かれることも多いのではないでしょうか?
生きていれば必ず巡ってくるものですが、それは災いが起こる年というだけではなく、私達の健康とも深いつながりがあるのです。
今回は、そんな厄年について前編・後編でご紹介していきます。

厄年って一体何!?

厄年とは

人の一生のうち、厄にあうおそれが多いから忌み慎まねばならないとする年。数え年で男は25・42・61歳、女は19・33・37歳などという。特に男の42歳と女の33歳を本厄といい、その前後の年も前厄・後厄といって恐れ慎む風があった。(広辞苑)

厄年の「やく」は厄難の「やく」ではなく、一種の神祭りをする神役の「やく」で、そのため物忌みをする年齢であるという説もあるが、他方、生命力が疲弊し、衰弱する年ごろであるゆえに、病魔などの悪霊に魅入られぬよう忌み慎む年であるという説もある。(日本大百科全書)


加齢により生理的なホルモンのバランスが崩れ始めている時期で、一般的には40~55歳くらいまでを言うようです。その年代の強いストレスが、生理的バランスの崩れをより大きくし、それが、「更年期障害」と呼ばれる現象となり、身体や心にさまざまな影響を及ぼしています。


厄年(数え年)
男性25歳前厄
41歳
本厄
42歳
後厄
43歳
61歳
女性19歳前厄
32歳
本厄
33歳
後厄
34歳
37歳


本厄である男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」など語呂からその年を忌む風もあるようです。

厄年の起源

厄年の起源は中国の陰陽道と言われています。
陰陽道というと、何かおどろおどろしいイメージがありますが、実は私達の生活の中に取り込まれているものもあります。例えば「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ということわざ、これは陰陽道の八卦占いからきているものなのです。

陰陽師

陰陽道

「古代中国の陰陽五行説に基づいて天文・暦数・ト筮(ぼくぜい)などをあつかう術。大宝令に規定があり、陰陽寮がおかれたが、次第に俗信化し、宮廷・公家の日常を物忌・方違えなどの禁忌で左右した。」(広辞苑)

平安時代の物忌・方違え

物忌は運勢の悪い日などに「物忌」と書いた札を家の外にかかげ、家にこもって人との面会を慎みます。物忌の日は宮中に出仕できずに自宅で過ごしますが、年に20~70日もあったというので、欠勤や逢引の良い口実になったり、方違えを理由に愛人宅に居座った方もいたそうです。

陰陽道プチ知識

厄年は、陰陽道の吉凶占いを元にして、安倍清明が平安時代に拡めたと言われています。 漫画や映画でブームになった安倍清明といえば、父は人間、母は狐の化身であったと言われており、式神を自由に扱っていたという伝説もあります。安倍清明のいた内裏の陰陽寮はサイキッカーの集団だったとも言えるでしょう。 今昔物語にも陰陽師達が活躍する話がたくさん残っています。今と違い、漆黒の闇が拡がり鬼や怨霊が恐れられていた時代でした。しかし、時とともに内裏の中での陰陽寮の力、とりわけ陰陽師達の権力は徐々に小さくなってゆきました。 そして、呪術や暦数は庶民の間で使われるようになってきたのです。
昔の人達は厄年以外にも厄日や厄月など、災難や災いを非常に恐れ、お払いや祈祷を行なっていたようです。そこで、活躍したのが、陰陽師と呼ばれる人達でした。貴族の間でブームとなった厄払いも江戸時代には庶民の間に拡がっていきました。現在の厄年の風習もその頃のなごりが残っているのではないでしょうか?