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厄 年 と 健 康 |
「厄年」、この言葉をみなさんはどう受け止められているでしょうか。迷信?ただの言い伝え?祈祷さえ受けていれば良い?
ある年齢になると、「厄年に交通事故を起こした」、「病気になった」・・・など聞かれることも多いのではないでしょうか?生きていれば必ず巡ってくるものですが、それは災いが起こる年というだけではなく、私達の健康とも深いつながりがあるのです。今回は、そんな厄年についてみていきたいと思います。
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厄落としの方法としていくつかお伝えしましたが、それは本当に神仏に届いているのでしょうか? とんちで有名な一休さんのおもしろい逸話があります。 一休さんが、熊野神社の前を通ったとき、念仏阿闍梨という、お徳の高いお坊さんがジッと呪文を唱え、九字を切っていらしたのですが、通りかかった一休さんは、 「おかしな真似をしているぞッ、一つからかってやろう」 と思って、 「お前さん、いま、神様の前で、おかしな呪いみたいなものを、唱えていたが、あれ、何になりますか」 というたら、阿闍梨さんが、一休さんに、 「私は、あんたを、今日は泊めてあげようと思う」 「泊めてもらいましょう」 というて、それからついて参りますと、庵のそばで、ヒョイと、念仏阿闍梨さんが、一休さんを見て、 「私は、あんたを、泊めてあげようと思うて来たけれど、なんじゃら、泊めてあげるのが、イヤになって来た。帰りなさい。」 「帰りましょう」 と言って、別れたそうですが、一町ほど行ったころに、阿闍梨さんが、ポンポンと手をたたいて、手招きをやっておったので、一休さんは、また呼んでるワイ、と思って帰って行きましたら、念仏阿闍梨さんが、一休さんに、 「なぜ帰って来なさった」 「なぜって、あんた呼んだじゃありませんか」 そうしたら、一休さんに、 「あんたでも、これ(拍手の手ぶり)通じましたか」 これで、一休さんの負けなんだそうです。熊野神社の前で、あんなことをして、なんぞの呪いになりますかと言った、これが返事なんだそうです。あんたにでも通じるぐらいだったら、神さんの前で、呪文を唱え、九字を切るのが、みな通じとる、というのだそうです。 見えない世界というのは実は私達が分からないだけであって、神様や仏様には見えているのかも・・・!? |
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厄年って一体何!? | ||||||||||||||||||
厄 年 ・人の一生のうち、厄にあうおそれが多いから忌み慎まねばならないとする年。数え 年で男は25・42・61歳、女は19・33・37歳などという。特に男の42歳と女の33 歳を本厄といい、その前後の年も前厄・後厄といって恐れ慎む風があった。(広辞苑) ・厄年の「やく」は厄難の「やく」ではなく、一種の神祭りをする神役の「やく」で、その ため物忌みをする年齢であるという説もある。(日本大百科全書) |
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本厄である男性の42歳は「死に」、女性の33歳は「散々」など語呂からその年を忌む風もあるようです。 |
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厄年の起源 | ||||||||||||||||||
厄年の起源は中国の陰陽道と言われています。 陰陽道というと、何かおどろおどろしいイメージがありますが、実は私達の生活の中に取り込まれているものもあります。例えば「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ということわざ、これは陰陽道の八卦占いからきているものなのです。 陰陽道 「古代中国の陰陽五行説に基づいて天文・暦数・ト筮(ぼくぜい)などをあつかう術。大宝令 に規定があり、陰陽寮がおかれたが、次第に俗信化し、宮廷・公家の日常を物忌・方違え などの禁忌で左右した。」(広辞苑) |
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平安時代の物忌・方違え 物忌は運勢の悪い日などに「物忌」と書いた札を家の外にかかげ、家にこもって人との面会を慎みま す。物忌の日は宮中に出仕できずに自宅で過ごしますが、年に20〜70日もあったというので、欠勤や 逢引の良い口実になったり、方違えを理由に愛人宅に居座った方もいたそうです。 |
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昔の人達は厄年以外にも厄日や厄月など、災難や災いを非常に恐れ,、お払いや祈祷を行なっていたようです。そこで、活躍したのが、陰陽師と呼ばれる人達でした。貴族の間でブームとなった厄払いも江戸時代には庶民の間に拡がっていきました。現在の厄年の風習もその頃のなごりが残っているのではないでしょうか? |
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厄落しの方法 | ||||||||||||||||||
地域によっていろいろですが、一般的には次のようなものがあります.
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厄除けの品 | ||||||||||||||||||
身につけるという習わしがあるようです。それは、うろこ 模様は蛇や蝶を連想して、脱皮を表し、再生を意味する もので厄年が生命力の再生の年であったと信じられて いたといえます。 |
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不調のキーワードは厄年 | ||||||||||||||||||
さて、厄年は本当に災いが起こる年で、その災いは避けては通れないものなのでしょうか? 『「更年期の夫」とつきあうレシピ』の著書に、ある大学教授の話が載っています。「男性更年期」に近い症状を体験した教授は、何が原因かを考えたところ、数え42歳の厄年だということに気づかれた・・・と。 単調な日々の繰り返しの中で、異変が起きて初めて自らの生活を顧みる・・・病気や事故が起きてからでは遅いのです。厄年は時代によりまた地域によりさまざまなものがありますが、現代も消滅せずに続いているということは、その根底に、人間にはバイオリズムがあり、生命力には起伏があることを認めているからと言えますね。 男女ともに人生の節目と考えられる厄年は同時にホルモンの影響も受けていると考えられます。(特に女性はホルモン分泌量が変動しやすい時期と重なっています) 男性の本厄である42歳前後は社会的な役割が大きくなったり、今までと違い疲れが残りや ![]() |
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厄年は生命力のさらなる成長 | ||||||||||||||||||
身体のバイオリズムから考えて、心身のバランスが崩れやすい年だといえます。 厄除けの品とされているうろこ模様は、蛇や蝶を連想して脱皮を表し、再生を意味するもの。 厄年は災いが起こる年ではなく、自らの生き方を改める生命のさらなる成長の年だと信じられていたのでしょう。 この時期は、今まで気にも留めていなかったであろう自分の身体をいたわってあげること、病気・事故・大失敗を起こさないように細心の注意を払うことが大切です。そのためには、臍下丹田呼吸法で頭と身体をシャキッとし、ティーエフケイ式の基本3食を常食されることで不摂生で崩れた体質の改善を行ないましょう。日常のほんのちょっとした努力が厄年から身を守り、健康に過ごすことが出来るのではないでしょうか? ![]() 厄除けとして神社等に参拝することにより、今の生活に感謝をして自身の生活や身体を見つ ![]() |
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【参考文献】 『健康への招待』(監修/戸田順博) 『広辞苑』 『日本大百科全書』 『「更年期の夫」とつきあうレシピ』(宮西ナオ子著) 『ビジュアル源氏物語』 『儀式・行事のしきたりがわかる事典』 『道を求めて』(小林慈海著) |